報恩講寺とは? わかりやすく解説

報恩講寺

読み方:ホウオンコウジ(houonkouji)

別名 円光大師霊場第八大川寺

宗派 西山浄土宗

所在 和歌山県和歌山市

本尊 法然上人

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

報恩講寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/22 21:10 UTC 版)

報恩講寺
所在地 和歌山県和歌山市大川117
位置 北緯34度18分23.9秒 東経135度5分20.5秒 / 北緯34.306639度 東経135.089028度 / 34.306639; 135.089028座標: 北緯34度18分23.9秒 東経135度5分20.5秒 / 北緯34.306639度 東経135.089028度 / 34.306639; 135.089028
山号 慈雲山
宗旨 浄土宗
宗派 西山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 承元2年(1208年)10月
開基 法然(開山)
正式名 慈雲山報恩講寺
別称 大川寺
札所等 法然上人二十五霊跡第8番
法人番号 6170005000758
報恩講寺
報恩講寺 (和歌山県)
テンプレートを表示

報恩講寺(ほうおんこうじ)は、和歌山県和歌山市大川にある西山浄土宗の寺院である。大川寺と通称する。法然上人二十五霊場第8番。

歴史

承元元年(1207年)12月、赦免になった法然は、翌承元2年(1208年)帰路につき、土佐から船に乗った。風雨が激しくなり、10月21日油生浜に漂着した。その時磯が瑠璃色に変じたという。それ以来この磯を「るりが浜」と呼ぶようになった。

法然は村の長者阿闍梨孫右衛門に迎えられた。長者は村人と共に、法然から念仏の教えを受けた。村人たちは念仏の教えを、深く信仰するようになった。法然は桜の木に自らの像を刻んだ。その時像の背を打つと、たちまち血が噴出したという。また法然はその時余った材料を使って、百万遍の大念珠を作り村人たちに与えたという。11月下旬法然は出帆した。

念仏を唱えることにより、この地は漁業で盛んになった。村人は喜び庵を建て法然の御影を安置し、念仏の霊場とした。この庵は大河堂と呼ばれた。後に報恩寺と号したが、さらに講の一字を加え、報恩講寺となった。毎年11月22日から3日間、法然上人着船記念円光大師大会式(だいえしき)を行う。

寺宝

  • 浄土曼荼羅 恵心僧都筆
  • 名号 法然上人筆

御詠歌

  • 「極楽もかくやあらんあらたのし はや参らばや南無阿弥陀仏」

参考

連絡先

  • 〒640-0101 和歌山市大川117
    • 法然上人二十五霊場巡拝などで朱印の押印が必要な場合は、事前に必ず連絡が必要。既に当寺に到着していたとしても電話連絡をすること。堂の前で参拝するだけなら連絡する必要はない。なお、当寺院は山門内での写真撮影はできない。

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「報恩講寺」の関連用語

報恩講寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



報恩講寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの報恩講寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS