堤外地の集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:59 UTC 版)
荒川の中流域は、洪水時に遊水地としての役割を果たすために堤外地が広くとられている。最も広いのは糠田橋付近で、約2,500 mに達する。そのため、河川改修によって堤外地に多数の集落が取り残された。これらの集落は堤外地になったことによってさらに水害の被害が増したため、2005年に握津集落(川越市)が集団移転するなど、徐々に堤内地への移転が進んだ。移転に際して国からの補償があったが、予算の不足から一挙に補償を行うことができなかったため、補償を待てずに自費で移転した世帯もあった。しかし、先祖から受け継いだ土地から離れることは容易なことではなく、付近に農地を持つ住民にとっては尚更である。そのため、危険を冒して堤外地に住み続ける住民や、堤外地であることは変わらないが、横堤上に移住した住民もいる。明秋集落・古名新田集落(吉見町・鴻巣市)では、2020年時点でも横提上に列状の集落を形成している。それ以外の集落は、既に住民がいないか、わずかしかおらず集落としての機能を失っている。
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