堂島小学校の創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 10:08 UTC 版)
「大阪市立大阪北小学校」の記事における「堂島小学校の創立」の解説
一方で大坂三郷に属していた堂島地区には、学制発布の際に堂島東・堂島西・北新地の3小学校が設置された。 堂島西小学校は1872年7月1日、北大組第14・第15区小学校として堂島浜通2丁目(現在の堂島浜2丁目)・渡辺橋北西に設置された。堂島東小学校は1872年8月25日、北大組第13区小学校として、堂島船大工町(現在の堂島1丁目)に設置された。北新地小学校は1873年3月12日、北大組第12区小学校として曽根崎新地3丁目(現在の曽根崎新地2丁目)、助成橋北詰に設置された。 1883年には堂島西・堂島東・北新地の3小学校を統合し、堂島小学校(のち堂島尋常小学校)を設置した。堂島小学校は合併当初、旧堂島西小学校の敷地を使用した。その後1899年に堂島船大工町13番地(現在の堂島1丁目)に移転している。 昭和時代に入り小学校では体育教育が重視されるようになり、各地の小学校では運動場の拡張が進んだ。しかし堂島尋常小学校では周囲を民家や道路に囲まれているために運動場の拡張が困難だとして、1929年には堂島浜通2丁目12番地(現在の堂島3丁目)・旧大阪市役所跡の一角に敷地を求めて移転している。 1935年に制定された堂島尋常小学校校歌は、北原白秋が作詞、山田耕筰が作曲を手がけている。 堂島尋常小学校は1941年、国民学校令により堂島国民学校へと改称した。堂島国民学校は文部省から体育の研究校に指定された。
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