堀内政三とは? わかりやすく解説

堀内政三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/13 05:44 UTC 版)

堀内 政三(ほりうち まさぞう、1918年10月8日 - 2012年12月27日)は、日本の教育者巣鴨中学校・高等学校第4代学校長、学園長。山梨県出身。

来歴・人物

東京文理科大学(現:筑波大学)卒業後、海軍予備員を志願し、特攻隊に入隊[1]するも、出撃前に伊豆大島で終戦を迎える。巣鴨学園の創立者である遠藤隆吉の六女・幸(まさ)の婿であったため、一橋大学助教授[2]から、巣鴨学園の校長に就任した。

1956年校長に就任、51年間もの間校長を務めたが、2007年に校長・理事長を辞任し、息子の堀内不二夫に職を譲った。退任した当時は全国の校長の中では在任期間が長いかつ、全国最高齢の校長だった。実質的に名ばかりではあるが、「学園長」と呼ばれる職に就いていた。引退後は生徒の前で公に場に出ることがなかったため、死亡説や植物人間説も流れたが、巣鴨学園のすぐ隣の自宅で余生を送っていた。

元軍人で死地を乗り越えてきたこともあってか、努力主義と英才早教育を掲げており、文武両道の教育を実践していた。「硬教育」の立場から文部省教育委員会予備校批判など、常に舌鋒は鋭かった。そのために一部予備校・塾から嫌われ、「スパルタ教育」「戦前のアナクロ教育」などと、悪しざまに言われることが多かった。

だがいかなる体罰をも否定し、週に何度もあった朝礼(毎週、月曜日20分、火曜日10分、および木曜日20分 晩年は月曜日20分、木曜日中学生のみ10分)や式典(生徒全員参加の入学式、卒業式では決まって2時間喋り続けるのが相場)では生徒に直接自らの信ずるところを語りかけるなど、彼の「硬教育」はその名の表面的な印象とは必ずしも一致しない懐の深い実践だった。[独自研究?]

2012年12月27日死去。享年94[3]

名言集

  • 「授業料に100円プラスして返すような教育を実践している。それこそがサービスの真髄である。」[要出典]
  • 「3S。スイッチ、スピード、スマート。」[要出典]
  • 「ここは厩舎で、先生方は調教師、そして君たちは馬だ!しかし、サラブレッドなのだ!」[要出典]
  • 「初段の哲学」[要出典]
  • 「男はやせ我慢」[要出典]
  • 「重い鞄に石を入れてでも通学しろ」[要出典]

迷言集

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 特攻艇震洋の乗組員だった。
  2. ^ 一橋大助教授であった当時、教え子に石原慎太郎がいた。後に彼が都知事に就任した際、都教育委員会の方針を巡って都庁に「慎太郎を出せ。」と抗議の電話を入れたことがあるという。
  3. ^ 2013年3月16日、文京区大塚の護国寺桂昌殿において学園葬が執り行われた。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堀内政三」の関連用語

堀内政三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堀内政三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堀内政三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS