執政官II
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「マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)」の記事における「執政官II」の解説
紀元前177年、レピドゥスは植民都市ルナ建設の三人委員に就任した。紀元前175年は二度目の執政官に就任。同僚執政官はプブリウス・ムキウス・スカエウォラであった。両執政官はリグリアに勝利し、ローマに戻って凱旋式を実施した。 それから死去するまで、レピドゥスは元老院筆頭に留まった。5年に一度監察官が改定する元老院議員名簿では、6回(30年)に渡って名簿の最上位に名前があったこととなる。この名誉と最高神祇官の地位、さらには執政官と監察官経験者としての権威のため、レピドゥスはローマの支配層の中でも特別の地位を占めた。現代の歴史学者には、レピドゥスは第二次ポエニ戦争でハンニバルに勝利した英雄であるスキピオ・アフリカヌスの後継者的な地位にあったと見るものもある。 レピドゥスは紀元前153年または紀元前152年に死去した。子息に対して、葬儀は簡単に行うように命じたと言われている。即ち、棺は華美にせず、葬儀の費用はせいぜい10アスであった。
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