ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 16:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス L. Manlius A. f. P. n. Vulso Longus |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | マンリウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前256年、紀元前250年) |
指揮した戦争 | エクノムス岬の戦い アスピスの戦い リルバイウムの戦い |
ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス(ラテン語: Lucius Manlius Vulso Longus, 生没年不詳、紀元前3世紀)は、共和政ローマの政治家、将軍。第一次ポエニ戦争に従軍した。
経歴
紀元前256年執政官に選出されたが、同僚執政官のクィントゥス・カエディキウスが任期中に死去し、補充執政官としてマルクス・アティリウス・レグルスが選出された[1]。彼らはカルタゴ海軍との小競り合いに勝利すると、ローマ海軍の増強に努め、330隻を率いてシチリア島のメッサナ(現メッシーナ)へ入港[2]。その後エクノムス岬の戦いでカルタゴ海軍350隻と戦い勝利した。
更に彼らはアフリカに上陸し、街を一つ攻略(アスピスの戦い)、レグルスはそのまま駐屯し、ウルソは捕虜と戦利品を持ってローマに戻り[3]海軍凱旋式の敢行が許された[1]。
紀元前250年に再び執政官に就任すると、200隻の艦隊を率いてリリュバエウムを包囲した(リルバイウムの戦い)[4]。カルタゴ側の傭兵部隊の裏切りがあったものの、守将ヒミルコは良く守り、年を越した。
出典
- ^ a b Broughton Vol.1, p.207.
- ^ 『歴史 (ポリュビオス)』1.25
- ^ 『歴史 (ポリュビオス)』1.29
- ^ 『歴史 (ポリュビオス)』1.41-42
参考文献
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
関連項目
公職 | ||
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先代: ガイウス・アティリウス・レグルス・セッラヌス、 グナエウス・コルネリウス・ブラシオ |
ローマの執政官 I 紀元前256年 同僚 クィントゥス・カエディキウス(死亡)、 マルクス・アティリウス・レグルス |
次代: マルクス・アエミリウス・パウッルス、 セルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオル |
先代: ルキウス・カエキリウス・メテッルス、 ガイウス・フリウス・パキルス |
ローマの執政官 II 紀元前250年 同僚 ガイウス・アティリウス・レグルス・セッラヌス |
次代: プブリウス・クラウディウス・プルケル、 ルキウス・ユニウス・プッルス |
固有名詞の分類
共和政ローマの人物 |
ポリュビオス マルクス・フリウス・カミルス ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス マルクス・ウァレリウス・コルウス ティベリウス・クラウディウス・ネロ |
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