坊門親忠とは? わかりやすく解説

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坊門親忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 01:48 UTC 版)

 
坊門親忠
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 大納言民部卿南朝
主君 後醍醐天皇後村上天皇長慶天皇
氏族 藤原北家道隆流坊門家
父母 父:坊門清忠
兄弟 重隆、親忠、女子?
花押
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坊門 親忠(ぼうもん ちかただ)は、南北朝時代公卿参議坊門清忠の子。父と同じく、南朝に仕えた。


経歴

父とともに吉野入りして早くから南朝に仕えたが、具体的な官歴は不明である。初めは綸旨の奉者として史料に散見され、延元2年/建武4年(1337年)には侍従、延元4年/暦応2年(1339年)には少納言興国元年/暦応3年(1340年)には蔵人右少弁、興国2年/暦応4年(1341年)から翌年にかけては左少弁、興国3年/康永元年(1342年)には右中弁、興国5年/康永3年(1344年)から翌々年にかけては大蔵卿の署判を残した。更に歌人として、興国5年/康永3年(1344年)と正平11年/延文元年(1356年)3月に催された内裏歌会に詠進している。『南朝公卿補任[1]には、正平14年(1359年)8月に従二位権中納言民部卿で薨じたと見えるが、その後も存命したことを示す史料がある。例えば、正平20年/貞治4年(1365年)の『内裏三百六十首歌』に詠進している「坊門大納言」(権官か)とは親忠のことと考えられ、また『五条家文書』の中には、正平24年/応安2年(1369年)4月五条良遠の許へ届けられたと考えられる「坊門大納言親忠卿」書状の追書があり、それによると、親忠はある人物(不詳)の去就について良遠から内々に示してくれるように望んでいる。親忠が薨去したのは、それからさほど下らない時期であろう。和歌は、『新葉和歌集』に2首が入集する。

脚注

  1. ^ 近世偽書とされる『南朝公卿補任』によれば、親忠の官歴は以下のとおりである。
    興国3年(1342年)従三位、正平2年(1347年)正三位、同3年(1348年)参議、同9年(1354年)権中納言民部卿、同11年(1356年)従二位。

参考文献

関連項目




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