国防人民委員と解任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:51 UTC 版)
「クリメント・ヴォロシーロフ」の記事における「国防人民委員と解任」の解説
1934年、国防人民委員(国防相)に就任し、翌1935年にはソ連邦元帥の称号を得た。1939年11月から1940年1月まで冬戦争(第1次ソ・芬戦争)でソ連軍を指揮するが、フィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられ、多くの死傷者を出した。この責任を取る形で40年3月、国防人民委員を解任された。この頃、夕食会の席上でスターリンから失策を痛罵され、思わず「(苦戦の原因は)あなたの粛清だ! 多数の優秀な将校がいなくなったからだ!」と激しく反駁したという逸話が残っている(これは衆人環視のなかで彼が怒りを爆発させたほとんど唯一の事例であり、かつ独裁体制を樹立したあとでスターリンに直言したものが政治的に生き残った数少ない例のひとつでもある)。冬戦争の醜態から、ニキータ・フルシチョフはヴォロシーロフに対して低い評価をつけており、後年「赤軍の大きな溜壺」(biggest bag of shit in the army)と酷評している。
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