国防予算問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:40 UTC 版)
「ロバート・マクナマラ」の記事における「国防予算問題」の解説
マクナマラのスタッフは、兵器開発及び他の国防予算問題での分析や意思決定支援を行った。スタッフは、アメリカには国防に必要な予算を回す余力はあるが、その余力を国防費に無駄に費やすことは許さず、費用対効果を厳密に分析する必要があると信じていた。マクナマラはこれを受けて、予算削減案を提出した。1961年の就任からの5年間で、140億ドルの削減に成功したと報告している。国防予算削減は、議会からの激しい批判を受けるも、マクナマラは更に不要な軍事基地の閉鎖を断行した。 そのような予算削減にも拘わらず、マクナマラの任期中に国防費はケネディ政権下で始まったベトナム戦争のため増加した。1962年の国防費は495億ドルであったが、辞任する1968年には749億ドルまで増大した。マクナマラは、ケネディ政権とジョンソン政権で発生した国家安全保障上の重大な危機で大きな役割を果たした。1つは、1961年4月に亡命キューバ人が主謀したピッグス湾事件である。 マクナマラの視点で成功したと思われるのは、1962年のキューバミサイル危機である。また、1965年4月のドミニカ共和国で起きた革命への介入も、マクナマラの考えていたアメリカ軍の機動性の証明になったといわれている。
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