周辺の支城・館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 06:35 UTC 版)
柴田屋館(富山県南砺市柴田屋)が在る。椎名康胤の家臣柴田久光が拠り、天正年間に木舟城主石黒成綱に攻め滅ぼされたとされる。現在では神社の境内となっているが、土塁など一部の遺構が残っている。但し、柴田久光は椎名家家臣では無く遊佐氏の家臣であり、椎名康胤は氷見朝日山で自害したと云う説も在り確証を得ないが、礪波郡に於ける一向一揆勢力が蓮沼城落城により大きな痛手を蒙ったのは、蓮沼城落城のあと謙信が礪波郡にさしたる軍事的手段を打たずに能登侵攻を実行している事からも充分に伺え知れるものである。康胤が蓮沼で討ち死にしていなかったとしても、最低限、「椎名康胤」が一揆勢力のシンボルの一つとしての役割を果たしていたのは間違い無いと云え、当時の礪波郡における蓮沼城の重要性はどちらにしても揺るぎ無いと云える。
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