各地へ広がった日輪兵舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 09:11 UTC 版)
内原訓練所の象徴的存在であった日輪兵舎は、円筒の建物に円錐の屋根という独特な形状から広く知られるようになり、やがて全国各地の学校、教育関係団体、移民関係団体などが、これを模倣した建物を建てるようになっていった。内原の日輪兵舎を模した建物の建設は、北海道から九州まで広く各地で行なわれ、その過程では「日輪舎」や「日の丸道場」、「八紘舎」などの異称が付けられることもあった。建物の使用目的が異なるため、内原訓練所の標準型の完全なコピーとは異なるものもあるが、全国約30か所にあったことが確認されている。 直接、満蒙開拓と関係がない場合でも、地域の青年団などが、修養の場となる建物を日輪兵舎の形式で建てることがあった。岐阜県稲葉郡各務村(後の各務原市の一部)にかつて存在していた日輪舎は、隣接地に工場を構えていた川崎造船所(後の川崎重工業)が設けた少年のための修練道場であった。
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