古代から中世の藺牟田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 21:04 UTC 版)
「鹿島町藺牟田」の記事における「古代から中世の藺牟田」の解説
奈良時代頃には薩摩国甑島郡が設置され、甑島は上村と下村に分けて統治されていた。この頃には藺牟田という地名自体は見えていないが、現在の鹿島町藺牟田の区域には住民は疎らながらも居住していたとされている。 中世の「薩摩国建久図田帳」によると甑島四十町のうちの二十町に含まれ、宝治2年(1248年)には鎌倉幕府の御家人である小川季能の統治下となった。文禄4年(1595年)には小川氏が田布施郷(現在の南さつま市金峰地域)に移封され、以降は島津氏の直轄領となった。
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