叢雲の滝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 15:09 UTC 版)
叢雲の滝は古来、観音の滝と呼ばれていた。滝の岸壁の中央には不動明王の梵字が刻まれている。修験道が行われていた頃には、信者は山伏と同様の修験道の掟に習い、白衣を着て叢雲の滝で水垢離をして身を清め、山頂に参拝したと言われている。また、滝の左後方にあった浦城には、この滝から樋堰で引いたと言われている。今でも、地面に耳をあてると水流の音が聞こえてくる。 叢雲の滝の右上方には、浦城の城主であった三浦兵庫頭盛永が自刃したとされる場所がある。 秋田実季が三倉鼻に道路を造る前は、この叢雲の滝の場所に街道があった。菅江真澄もこの場所を通って北に移動している。
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