厚別町山本とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 地名 > 厚別町山本の意味・解説 

厚別町山本

読み方:アツベツチョウヤマモト(atsubetsuchouyamamoto)

所在 北海道札幌市厚別区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒004-0069  北海道札幌市厚別区厚別町山本

厚別町山本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 16:47 UTC 版)

日本 > 北海道 > 札幌市 > 厚別区 > 厚別町山本
厚別町山本
北海道札幌養護学校
厚別町山本
北緯43度3分29秒 東経141度27分26.9秒 / 北緯43.05806度 東経141.457472度 / 43.05806; 141.457472
日本
都道府県 北海道
市町村 札幌市
行政区 厚別区[1]
開発開始 1909年(明治42年)
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
004-0069
市外局番 011[2]
ナンバープレート 札幌

厚別町山本(あつべつちょう やまもと)は、札幌市厚別区の地名[1]。同区内の北西端に位置し、江別市に隣接する。

西の厚別川と東の野津幌川に挟まれた、海抜10メートル以下の低地である[3]

歴史

かつては「厚別原野」と呼ばれた泥炭地で、一年間に何度も水害に見舞われる農耕不適地だった[3]。特に1898年(明治31年)には、泥炭層が浮上したせいで水田が持ち上がり、隣の水田の上に重なってしまったという逸話が残っている[3]

1908年(明治41年)、小樽山本久右衛門が一帯の土地の払い下げを受け、翌1909年(明治42年)に「山本農場」を開設して開墾に着手した[3]。その跡を継いだ息子の山本厚三は、道路2400メートル、排水路13万7500メートルを開削し、水田約236ヘクタール、畑約38ヘクタールの開墾を成し遂げた[4]

1934年(昭和9年)4月、それまで「本田」と称していた地域の名称が、山本厚三の姓にちなんで「山本」と改められた[4]

1944年(昭和19年)、終戦後の農地改革に先駆けて、すべての土地が小作人に解放される[4]。開発50年目にあたる1958年(昭和33年)には、住民たちの寄付によって「謝恩之碑」が山本稲荷神社の境内に建てられた[4]。ただしその後の市街地化によって、山本稲荷神社の所在地は厚別西に区分されている。

施設

脚注

  1. ^ a b 現町名一覧-厚別区札幌市.2021年3月13日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2021年3月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 札幌地名考 1977, p. 80.
  4. ^ a b c d 札幌地名考 1977, p. 81.

参考文献

  • 『札幌地名考』北海道新聞社〈さっぽろ文庫1〉、1977年9月26日。 

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「厚別町山本」の関連用語

厚別町山本のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



厚別町山本のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日本郵政株式会社日本郵政株式会社
Copyright (C) 2025 JAPAN POST SERVICE Co.,Ltd. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの厚別町山本 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS