危機遺産登録理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 07:09 UTC 版)
「アイル・テネレ自然保護区」の記事における「危機遺産登録理由」の解説
自然保護区となったことによって、1000年近くこの地を重要な通商路としてきたトゥアレグのキャラバンにも、大きな制約が加えられるようになった。この不満が内戦に結びついたことから、1992年に危機遺産に登録された。自然保護の動きが、かえって自然を脅かしてしまった例である。内戦自体は1994年にひとまずの終息を見たが、2007年現在でも危機遺産登録は解除されていない。
※この「危機遺産登録理由」の解説は、「アイル・テネレ自然保護区」の解説の一部です。
「危機遺産登録理由」を含む「アイル・テネレ自然保護区」の記事については、「アイル・テネレ自然保護区」の概要を参照ください。
危機遺産登録理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 22:07 UTC 版)
「シミエン国立公園」の記事における「危機遺産登録理由」の解説
この山地には、4000m地帯にすら暮らしている人々がいる。彼らは2000年前からこの地で細々と農耕を行ってきたとされるが、その農地拡大が環境の悪化に拍車をかける面が指摘された。また、1993年まで続いたエリトリア独立をめぐる内戦も環境を大きく損ねる原因となった。これらのことから、1996年に危機遺産に登録された。住民の多くは強制移住の対象となったが、対象とならなかった人々は今も山地で暮らしている。 2017年に危機遺産リストから除去された。
※この「危機遺産登録理由」の解説は、「シミエン国立公園」の解説の一部です。
「危機遺産登録理由」を含む「シミエン国立公園」の記事については、「シミエン国立公園」の概要を参照ください。
- 危機遺産登録理由のページへのリンク