南部瑞子とは? わかりやすく解説

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南部瑞子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:40 UTC 版)

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南部 瑞子(なんぶ みずこ、1908年明治41年)1月14日 - 1980年昭和55年)10月30日)は、盛岡南部家の女性。第43代当主の伯爵南部利淳の長女で、第44代当主の伯爵南部利英の夫人。ガールスカウト日本連盟本部理事を務めた。

経歴

明治41年(1908年)、盛岡南部家当主南部利淳の長女として岩手県盛岡市にて生まれる[1]昭和2年(1927年)、女子学習院を卒業する[1]。昭和4年(1929年)、公爵一条実輝の三男實英(南部利英)と結婚、婿養子に迎える[2]。夫妻は三男四女をもうけた。昭和5年(1930年)、秩父宮妃が来盛し、共に南部邸の池でボート遊びをしていたところボートが転覆し、周囲を慌てさせたというエピソードが残っている[2]。昭和11年(1936年)には義理の妹に当たる閑院宮妃が来盛し、南部邸を訪問している[2]。終戦後しばらくして、盛岡から渋谷区千駄ヶ谷に移り住む。昭和30年(1955年)、ガールスカウト日本連盟本部理事に就任し、長くこれを務めた[1]。また、夫の利英と共に在京岩手県人会の顧問も務めた。

家族

出典:『岩手人名大鑑(1965)』及び『岩手人名大鑑(1976)』

出典

  1. ^ a b c 岩手日報社 『岩手人名大鑑(1965)』
  2. ^ a b c 岩手日報社 『岩手20世紀 写真でつづるあの日あの時』

参考文献

  • 『岩手人名大鑑(1965)』 岩手日報社 1965年
  • 『岩手人名大鑑(1976)』 岩手日報社 1976年
  • 『岩手20世紀 写真でつづるあの日あの時』 岩手日報社 2000年
  • 財団法人新渡戸基金発行『岩手人名辞典』 2009年



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