南光利とは? わかりやすく解説

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南光利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 13:57 UTC 版)

大正天皇即位大礼の典儀官時の南光利(1915年)

南 光利(みなみ みつとし、1867年1月24日慶応2年12月19日[1])- 1934年昭和9年)12月1日[1][2])は、明治から昭和期の神職政治家奈良華族貴族院男爵議員。幼名・岩丸[3]、岩麿[1][4]

経歴

山城国京都雅楽部長・竹屋光昭の二男として生まれ、広橋胤保の五男として成長[1][5]明治5年3月28日1872年5月5日)、元興福寺修南院住職・南光度の養子となる[1][3][4][5]1873年(明治6年)4月22日[注 1]、養父の隠居に伴い家督を継承[1][4]1875年(明治8年)3月28日、華族に列した[3]1880年(明治13年)8月、光利と改名[4]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][4][5][6]

陸軍予科士官学校を修了[2]1892年(明治25年)金刀比羅宮宮司に就任[2][5]。その他、大礼使典儀官などを務めた[5]

1897年(明治30年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[7][8]1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した[2]

親族

脚注

注釈

  1. ^ または、4月14日とも[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 霞会館 1996, p. 693.
  2. ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 86.
  3. ^ a b c d 南岩丸差出 1875.
  4. ^ a b c d e 筒井住蓮 1911, p. 251.
  5. ^ a b c d e 人事興信所 1934, p. ミ71.
  6. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
  8. ^ 『官報』第4219号、明治30年7月26日。

参考文献

  • 南岩丸差出『南家譜』1875年。  - 東京大学史料編纂所所蔵。
  • 筒井住蓮 編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。 
  • 人事興信所 編『人事興信録』《下》(10版)人事興信所、1934年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。 


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
南家初代
1884年 - 1934年
次代
南隆春



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