千代の富士53連勝との因縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 17:32 UTC 版)
「琴ヶ梅剛史」の記事における「千代の富士53連勝との因縁」の解説
千代の富士とは22回の対戦で1勝しか挙げてないが、その1勝というのが、千代の富士が53連勝の1勝目を挙げる昭和63年夏場所7日目(花乃湖戦)の前日(6日目)に押し出しで破ったものである。また、53連勝のうち16連勝目も琴ヶ梅との対戦であるが、この相撲も琴ヶ梅が立合いから一気の押しで千代の富士を土俵際まで追い詰める。下がりながら左上手を取った千代の富士が土俵際で左足一本で残りながら頭を押さえながらの上手投げ。木村庄之助の軍配は琴ヶ梅に上がるも、物言いがつき、軍配差違えで千代の富士、薄氷の勝利。ちなみに、この時正面の審判長席に座っていて、場内アナウンスをしたのが、千代の富士の師匠である九重(元北の富士)だった。千代の富士の53連勝の中で物言いがついた取組はこの一番だけであり、内容的に見ても最も危なかった一番で、この頃の琴ヶ梅が力士として実力的に充実していたことを表している。
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