十勝神社
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十勝神社 | |
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所在地 | 北海道広尾郡広尾町茂寄1-13 |
位置 | 北緯43度47分9.952秒 東経141度54分10.450秒 / 北緯43.78609778度 東経141.90290278度座標: 北緯43度47分9.952秒 東経141度54分10.450秒 / 北緯43.78609778度 東経141.90290278度 |
主祭神 | 大綿津見神・保食神・塩土老翁神 |
社格等 | 旧県社 |
祭神
出典[1]
歴史
十勝神社は、明神社を前身とする[2]。正確な創建時期は不明だが、十勝場所地行主の蠣崎広林が奉献した、円空作の観音像の背文に「寛文六年」とあるため、1666年ころの創建と考えられている[2]。
1801年(享和元年)の松平忠明による巡見の際、明神社は21世紀現在の本通2丁目あたりに位置していたとみられるが、そののち会所通りに移され、1846年(弘化3年)11月5日の火災で会所とともに焼失した[2]。しかしほどなくして、場所請負人の杉浦嘉七によって再建された[2]。
明治時代に入ると、神仏分離令を受けて、前述の円空作観音像を手放すことになった[1]。
1876年(明治9年)3月、十勝神社として郷社に指定される[1]。
1888年(明治21年)5月には、1835年(天保6年)勧請といわれる境内社の稲荷神社を合祀した[1]。
1915年(大正4年)9月に、神饌幣帛料供進社に指定される。
それから新通5丁目、本通2丁目と移転を重ね、1918年(大正7年)に現在地の南側へと遷る[1]。
1921年(大正10年)、行方不明となっていた社宝の『東蝦新道記』が大阪朝日新聞社の会に展示されたと判明し、出陳者の浦河と交渉して100円で購入した[1]。
1945年(昭和20年)には県社に昇格するも、太平洋戦争終結後は宗教法人となる[1]。
1966年(昭和41年)9月、氏子からの寄付188万円をもって十勝神社三百年祭が挙行される[1]。
1968年(昭和43年)1月、『東蝦新道記』が北海道の有形文化財(歴史資料)に指定される[1]。
竜神木大明神
神体とされる「竜神木大明神」は、2代目社司を務めた荒井重矩の『神社明細書』によると、もともと茂寄村字シマウス海岸に漂着した流木だった[1]。
形状が竜神に似ていたので祀ったところ、豊漁が続いたのでさらに信仰を集めるようになり、「十勝大明神」と尊称された[1]。そして、流木に彫刻を加えて木像に仕立て上げたのだが、その年月日は明らかでない[1]。古老の語ったところでは、山崎金助が京都の仏師・小林又七に彫刻させたものとされている[1]。
現状は丈4寸あまりの木像で、聖徳太子に似ているという[1]。
脚注
参考文献
- 『新広尾町史』 3巻、広尾町、1982年9月20日。
外部リンク
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