十三代 式部豊充【不詳-1812年】
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明和3年(1766年)、蜂谷家は再び岡本家より安房守一子豊充を養子として迎え、13代家元を継承する。12代式部と同様、明和から安永時代にかけての全国的な香道人口の増加に伴い、尾張国、紀伊国、摂津国、播磨国などへも度々下向した。後年、豊充は家元を14代貞重に譲り、長崎に渡って役人「伽羅目利」になる。約220年間にわたる鎖国の中、唯一の諸外国との窓口であった出島で、豊充は輸入される香木の価値基準、価格を査定する鑑定官を務める。なお、長崎では、役人巨知部忠栄や神職青木栄瀬他門人たちの庇護があったと考えられる。
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