十万寺所在城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 05:39 UTC 版)
十万寺所在城は、羽衣石城の南方に位置する423メートルの山頂にあり、東西70メートル、南北50メートルの主郭を中心に、土塁、堀切、空堀及び切崖が広範囲に分布している。土塁で囲境された平らな主郭を中心に、各峰の防備に設けた堀切と空堀は、中世城郭の特徴を持つ。 大規模な野戦築城がなされているにも関わらず、地元に城としての伝承が伝わっていない。これは外部からやってきた軍が、攻城戦のなどのために一時的に設けたもの(すぐに廃城となった)で、地元との関係が希薄のため伝承として残らなかったのでは、と言われている。 そのように呼ばれ始めた時期は不明ではあるが、羽衣石地区では「たいこうがなる(太閤ヶ平)」と呼ばれており、羽柴秀吉の在陣があったことをうかがわせる。なお、秀吉が鳥取城攻めの際に鳥取市百谷に築城した陣城も「太閤ヶ平」と呼ばれているが、関連性は不明である。
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