北里東洋医学研
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昭和47年(1972年)、衆議院議員相川勝六、床次徳二、日本医師会会長武見太郎、北里研究所所長水之江公英、前日本鍼灸師会会長岡部素道らとともに、漢方と鍼灸の基礎的、臨床的研究を行いつつ若手研究者の養成を行うことを目的とした北里研究所附属東洋医学総合研究所(現北里大学東洋医学総合研究所)の設立に参画し、初代所長に就任した。所長就任の約8年後の1980年10月15日、北里東洋医学研へ出勤するため食事をすませ新聞を読んでいたところ脳卒中にて倒れ永眠。享年80。
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