北方の明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 16:17 UTC 版)
モーニンのマオ・シャン族の侵入に対抗するため、1383年にアヴァから雲南に使節が送られた。明からアヴァの「総督」の地位を認められ、またモーニンは明より警告を与えられたが、1393年にモーニンは警告を無視して再びアヴァに侵入した。1406年には明より使節が送られるが、1440年代に入ってアヴァ王朝と明の双方と敵対していたマオ・シャン族の指導者トー・ンガン・ボワーの処遇をめぐって両国は対立する。アヴァ王朝の妥協で両国の関係は修復され、アヴァ討伐のために送られた明軍は帰国前にヤメーディーンの反乱を鎮圧した。1451年に明から金牌と信符が贈られ、また明の支配下にあった土地の一部を与えられた。 トハンブワの簒奪後に明より役人が派遣されるが、アヴァの混乱を収拾することができず、帰国した。
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