北廻り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 02:07 UTC 版)
遅くとも12世紀には、ロシアのポモールは白海とバレンツ海を航海していた。その後いずれかにロシア人はオビ湾に入るかヤマル半島を横断した。オビ湾からタゾフスカヤ湾を経て、タズ川を上り、昔のマンガゼヤ(1601年)から陸路トゥルハン川(Турухан)に面したヤノフ・スタン(Янов Стан)へ向かい、エニセイ川とニジニャヤ・ツングースカ川の合流点にあるトゥルハンスク(Turukhansk)(1607年)に達する。ニジニャヤ・ツングースカ川を東へ上り、南へ向きを変えるところから、ヴィリュイ川支流のチョーナ川(Чона)へ陸上輸送する。(現在、ヴィリュイ川とチョーナ川の合流点はヴィリュイスキー貯水池になっている)ヴィリュイ川に沿って東のレナ川へ向かい、その後レナ川を上ってヤクーツクへ達する。さらに、キレンスク(1630年)(ウスチ=クートの175km北東)のちかくまでニジニャヤ・ツングースカ川を進み、短距離の陸路でレナ川に出、レナ川を下ってヤクーツクへ向かうことも可能であった。タゾフスカヤ湾からヤクーツクまでは2400kmある。1700年以降、ほとんどの貿易は南へ変わり、トゥルハンスクの西のルートは大部分放棄された。
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