北与野駅への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 14:43 UTC 版)
1999年に埼玉県は、北与野駅を「さいたま新都心第2の玄関」という位置づけのもと、快速列車(当初は通勤快速)を停車させるようにJR東日本に要請した事があるが実現には至っていない。 2000年4月より、さいたま新都心街開きに合わせて北与野駅発着の路線バスがさいたま新都心駅西口の交通センター発着へ延伸している。 北与野デッキ完成後は、さいたま新都心から北与野駅地区へ人が流れることを期待していた地元の商業者もいたが、実際には埼京線利用の通勤客などがさいたま新都心方面から来るようになった程度で、逆に北与野駅からさいたま新都心へ向かう利用者が比較的多くなり、北与野駅周辺の小売店では来店者が微減傾向となった所もある。 また、さいたま新都心に公営宿泊施設が2軒開業した影響を受け、北与野駅前のシティホテル「アルーサ清水園」(1992年開業・旧与野市唯一のホテル)が2004年8月で閉鎖となった。それら公営宿泊施設は合同庁舎の歩行者デッキ沿いにあるため、北与野駅からも北与野デッキを経て地上に降りずに行くことができる。 さらに、さいたまスーパーアリーナでのイベントが催された時は、ほとんどの来場者がさいたま新都心駅を利用するために改札口で入場制限をすることが多々あるが、北与野駅では滅多に起こらない。
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