勝田館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 07:51 UTC 版)
1916年、勝田は青山学院の高等学部校舎と院長館の建設費を全額負担することを表明した。高等学部校舎は勝田銀次郎の名にちなんで「勝田館(ホール)」と命名された。 煉瓦造地上2階、地下1階建て 総坪数:600坪4合6勺(1,980m2)階上 - 教室(11室) 階下 - 院長室、教員室、事務室、応接室、図書室、商品陳列室、卒業生室、教室(2室) 設計:辰野金吾、片岡安 起工:1917年1月 竣工:1918年11月 総工費:25万円 煉瓦造りの荘厳な建築で「東京市の名物」と称されることもあったが[要出典]、1923年の関東大震災により大破した。青山学院の教職員と全学生は1925年5月14日に「勝田館袂別式」を行い、取り壊される勝田館への別れを惜しんだ。 一方、院長館は関東大震災では奇跡的に倒壊を免れたが、これも太平洋戦争の空襲によって焼失し、現存しない。
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