別所氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:13 UTC 版)
1585年(天正13年)、豊臣政権下で八木城の城主となったのは別所重宗で1万5千石で登用された。別所重宗とは三木合戦で亡くなった別所長治の叔父に当たり、東条城を本城とし、屋口城を支城としていた。別所長治は毛利氏についていたが別所重宗は織田氏に属していた。しかし、東条城が1581年(天正9年)の羽柴秀吉の「城割」となると、別所重宗はしばらくの間本城は持っていなかったようである。 別所重宗が播磨から所領替えとなり入城すると改修にとりかかり、織豊勢力の象徴として石垣の城に改修した。 その後別所重宗とその後を継ぎ八木城城主となった別所吉治親子は、九州征伐、小田原征伐、文禄の役に参戦したが、八木城の実績は不明である。八木城が廃城になったのは、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、別所吉治が丹波北由良藩に転封になり後継の藩主が置かれなかったため城は廃城となったという。
※この「別所氏時代」の解説は、「八木城 (但馬国)」の解説の一部です。
「別所氏時代」を含む「八木城 (但馬国)」の記事については、「八木城 (但馬国)」の概要を参照ください。
- 別所氏時代のページへのリンク