列島西南端・最古の円墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:42 UTC 版)
「奥山古墳 (南さつま市)」の記事における「列島西南端・最古の円墳」の解説
古墳時代の薩摩半島南部の地域社会は、集団墓(土壙墓)を主体とし、前方後円墳に代表される高塚古墳の文化や社会構造があまり浸透していなかったと考えられている。その中で奥山古墳の被葬者は、円墳を築造し、土師器を用いる古墳祭祀を取り入れ、さらに遠隔地から石材を入手して石棺を造るなど、広域の地域間交流を通じて物資・情報をいち早く掌握した首長であると推測され、同古墳は古墳文化周縁域の西南端を画する貴重な遺構として評価されている。
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