分裂反動と「中道」(Via Media)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:48 UTC 版)
「イングランド国教会」の記事における「分裂反動と「中道」(Via Media)」の解説
ウィキソースにThe Great Encyclical Letters of Pope Leo XIII/Anglican Ordersの原文があります。 エドワード6世の死後、異母姉でキャサリンの娘メアリー1世が王位に就いた。熱心なカトリック教徒であったメアリー1世はヘンリー8世とエドワード6世の時代に行われた典礼の改革をすべて廃し、再びイングランドをカトリックに戻そうとした。しかし反感を買い、メアリー1世の死後、カトリックへの復帰運動は消えた。 真の意味でのイングランド国教会のスタートは、1558年に王位に就いたアンの娘でメアリー1世の異母妹エリザベス1世の下で切られることになる。エリザベス1世は教皇の影響力がイングランドに及ぶことを阻止しようとしていたが、ローマからの完全な分離までは望んでいなかった。神聖ローマ皇帝カール5世が彼女をかばったこともあって、エリザベス1世は1570年、ピウス5世の時代まで破門されることはなかった。 イングランド国教会が正式にローマから分かれることになるのは1559年である。議会はエリザベス1世を「信仰の擁護者」(首長)として認識し、首長令を採択して反プロテスタント的法を廃止した。さらに女王は1563年の聖職者会議で「イングランド国教会の39箇条」を制定し、イングランド国内の国教会を強化した。 詳細は「聖公会#中道(Via Media)の教会」を参照
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