分派・新カジノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:38 UTC 版)
「カジノ・フォーリー」の記事における「分派・新カジノ」の解説
1930年8月 - 10月 1930年(昭和5年)8月、自らが座長であった榎本が二村定一、武智豊子とともに「第2次カジノ・フォーリー」を脱退、浅草観音劇場に旗揚げしたのが「新カジノ・フォーリー」であった。サトウハチローを文芸部長に招き、翌月の同年9月には、菊田一夫が新カジノ入りしたが、さらに翌月、旗揚げからわずか2か月後の同年10月に解散した。 同年11月、「玉木座」がオープン、同劇場に軽演劇の劇団「プペ・ダンサント」が結成され、榎本はこれに参加した。榎本はその後、翌1931年(昭和6年)11月に「プペ・ダンサント」を脱退、翌月の同年12月、「浅草オペラ館」に二村定一と2人座長の新しい劇団「ピエル・ブリヤント」を結成した。武智豊子参加。
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