分布状況の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:49 UTC 版)
鎌倉府の直轄領は、鎌倉公方自身の経済的基盤となった。主に2か所に集中して分布しており、ひとつは鎌倉とその周辺の相模中部・東部、武蔵南端、もうひとつは下総北西部と武蔵北東部にまたがる旧利根川・渡良瀬川(太日川)周辺の関東中央部である。 相模とその周辺の東海道では、伊豆国府・箱根水飲・箱根芦河・湯本・小田原・国府津に関所があったことが分かっている。鎌倉府が関所の収入を恣意的に鎌倉寺院に寄進していたことから、東海道は鎌倉府の支配下にあったと考えられる。武蔵方面の鎌倉街道(中道)についても、道筋の山内庄・小山田保・吉富郷が直轄領と準直轄領となっており、さらに以北の府中・入間河(入間川)・村岡も直轄領だった推定される。相模東部・武蔵南端の海岸では、鎌倉・六浦・神奈河(神奈川)・品河(品川)という重要港湾も鎌倉府の支配下にあったと考えられる。 関東中央部では、武蔵の足立郡・太田庄と下総の下河辺庄という広大な地域が直轄領とされ、隣接する下総の葛西御厨・下幸嶋庄が上杉氏に与えられて準直轄領となっていた。鎌倉から江戸・岩槻を経由して古河に至る鎌倉街道(下道)は、これらの直轄領を通っている。旧利根川・渡良瀬川(太日川)水系の河川交通も鎌倉府の支配下にあったと考えられている。 他にも、上総北西部や下野の足利庄など、関東各地に多くの所領が広く分布していた。
※この「分布状況の概要」の解説は、「鎌倉府」の解説の一部です。
「分布状況の概要」を含む「鎌倉府」の記事については、「鎌倉府」の概要を参照ください。
- 分布状況の概要のページへのリンク