分割されたサルダーニャとは? わかりやすく解説

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分割されたサルダーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 13:24 UTC 版)

サルダーニャ」の記事における「分割されたサルダーニャ」の解説

サルダーニャは、1659年ピレネー条約によってスペインフランス間で分割された。北側フランス領南側スペイン領となった。ルサリョー、カプシー、クンフレントも当時フランス領となった。 現在、スペイン領サルダーニャは、カタルーニャコマルカであるバッシャ・サルダーニャ(低サルダーニャとなっており、主都プッチサルダーである。プッチサルダーピレネー条約以前からサルダーニャ中心地となっていた(1178年からの首都イクスであった)。イクスサルダーニャ伯が住んでいた地で、現在はフランスのコミューンブール=マダム中にある。イクスは、古代サルダーニャ古都であったリビア交換されのだったピレネー条約では、リビアスペイン領にとどまることが決められた(伝えられるところによれば、条約は『だけがフランスへ割譲される』と明文化されていた。当時リビアはかつてサルダーニャ首都であったことから都市みなされており、ではなかった)。そのためにリビアは現在フランス領内にあるスペイン領飛び地となっているのであるフランス側サルダーニャは、ピレネー=オリアンタル県一部となっており、特殊な地位持っていない。フランス側サルダーニャ住民らは、自分たちの土地をセルダーニュ・フランセーズ(Cerdagne française)と称したり、ただセルダーニュと呼ぶ。一方スペインに住むサルダーニャ住民らはフランス側をアルタ・サルダーニャ(Alta Cerdanya、高サルダーニャ)と呼ぶ。フランス側主要な町はブール=マダムの他、スキー・リゾートフォン=ロムーである。

※この「分割されたサルダーニャ」の解説は、「サルダーニャ」の解説の一部です。
「分割されたサルダーニャ」を含む「サルダーニャ」の記事については、「サルダーニャ」の概要を参照ください。

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