写真術の先駆者ディズデリとのつながりの可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 01:05 UTC 版)
「ジョゼフ=ジャン=ピエール・ロラン」の記事における「写真術の先駆者ディズデリとのつながりの可能性」の解説
アンドレ=アドルフ=ウジェーヌ・ディズデリ(英語版、フランス語版)は「写真付き訪問名刺(フォト=カルト・ド・ヴィジト)」を開発した人物として知られるが、ディズデリの評伝の作者エリザベス・アンヌ・マコーリー(Elizabeth Anne McCauley)によると、ディズデリは写真付き訪問名刺の作製方法を、ニームに滞在していた1853年に開発した。彼はそれをパリに持ち帰り、大成功に結びつけた。マコーリーが引用するディズデリの自伝によると、写真付き訪問名刺の作製方法は、化学者でニーム保証局の検査官のムッシュ・ロランの化学に関する助言があってはじめて可能になった旨の記載がある。マコーリーは1855年のパスポート取得用の公文書に基づいて、ディズデリの言及した「ムッシュ・ロラン」の名前をジョゼフ・ジャン・ピエール・ロラン〔ママ〕(Joseph Jean Pierre Laurent 〔ママ〕)と特定している。 名前、職業、都市、時代の一致は示唆的ではあるが、小惑星の発見者との決定的な結びつきはいまだなされていない。
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