再び自民へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 21:22 UTC 版)
2015年6月、第189回国会閉会後に次世代の党を離党し自民党へ復党申請をすることを表明。9月25日、前党首・平沼赳夫と共に正式に離党。10月2日、自民党党紀委員会は、「政治家としての2人の経験や見識を、今後は自民党の活動で生かしてもらうべきだ」などとして平沼とともに園田の復党を了承した。 2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では、熊本県内の小選挙区の区割変更に伴い、比例九州ブロックへ転出。自民党では73歳定年制の例外扱いとされた。比例名簿単独1位により、11選。 2018年11月11日、肺炎のため、東京都の病院で死去。76歳没。死去に伴い、次点の宮崎政久が11月21日に繰り上げ当選した。後日、日本国政府は死没日付をもって従三位に叙し、旭日大綬章を追贈した。
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