内田良平 (写真家)
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内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7月1日)は、おもに山岳写真を手がけた日本の写真家、著作家[1][2]。
経歴
神奈川県横浜市出身[1][2][3]。1954年に東京都立芝商業高等学校を卒業した[3]。
1959年にベルニナ山岳会に入会し、以降、登山活動とともに山岳写真に取り組む[2][3]。1970年に山岳写真家として独立し、以降は国内外各地で撮影を重ね[3]、ネパール側のヒマラヤ山脈への取材旅行は、生涯に80回以上に及んだという[2]。
1970年代からヒマラヤ・カメラトレッキングを組織し、1979年にはその参加者を中心に閑良屋会(ヒマラヤカイ)を結成して、以降、年1回の写真展「内田良平と閑良屋会(ヒマラヤカイ)山岳写真展「遥かなる山」」を開催し続けた[4]。この展覧会は、フジフィルムスクエアなどを会場に回を重ねたが、内田の死後、2019年11月に第41回を横浜市のみなとみらいギャラリーで開催して終了した[5]。
ベルニナ山岳会会員のほか、日本山岳写真集団同人、日本山岳会会員などでもあった[1]。
おもな著書・写真集
単著
- アルプス縦断35日、山と渓谷社、1965年
- ヒマラヤ:ネパールの雪と岩と光(カラーフォト・シリーズ)、朝日ソノラマ、1980年
- ネパール歩く・見る・撮る:トレッキングガイド、東京新聞出版局、1981年
- 山岳写真プラス1(ハイテクニック写真講座 4)、朝日ソノラマ、1981年
- ここらでビバーク:アフリカの山回想、中央公論社、1983年
- ネパール百描、小学館、1985年
- すぐ役立つ山の写真の撮り方、東京新聞出版局、1988年
- ネパールトレッキングガイド:歩く・見る・撮る、東京新聞出版局、1989年
- エベレスト街道、山と渓谷社、1989年
- (内田 撮影)ヒマラヤ:巨峰14座と高峰、時事通信社、1990年
- 槍・穂高・上高地:カラー版、東京新聞出版局、1990年
- (Ryohei Uchida)Trekking Mount Everest, Chronicle Books, 1991
- カトマンズ百景、山と渓谷社、1992年
- アンナプルナ周遊、山と渓谷社、1993年
- すぐ役立つ新・山の写真の撮り方、東京新聞出版局、1998年
- 日本百名山:写真集、朝日ソノラマ、1999年
- ヒマラヤ50峰、朝日ソノラマ、2001年
- ヒマラヤ百花、朝日ソノラマ、2002年
共著など
- (西島武郎 絵、内田は文を担当)山の基本技術手帳、山と渓谷社、1981年
- (田中清光 文、内田は撮影を担当)上高地、時事通信社、1988年
- (中村昌之との共著)ネパール・ヒマラヤトレッキング案内、山と渓谷社、1995年
- (Masayuki Nakamura & Ryohei Uchida)Les plus beaux trekkings du Népal, Glénat, 1997(フランス語訳 Dominique Vulliamy)
- (閑良屋会 撮影、内田 監修)遥かなる山 2(Bee books)、光村印刷、1998年
- (閑良屋会 撮影、内田 監修)遥かなる山 3、遊人工房、2003年
- (閑良屋会 撮影、内田 監修)遥かなる山 4、遊人工房、2008年
- (閑良屋会 撮影、内田 監修)遥かなる山 5、遊人工房、2013年
脚注
- ^ a b c 「松本ヒマラヤ友好会山岳写真展 -中部山岳・アルプス・ヒマラヤ編- (PDF)」松本ヒマラヤ友好会、2018年10月15日。2025年3月5日閲覧。
- ^ a b c d 木戸嘉一「山岳写真の巨匠・内田良平さんがご逝去されました。」木戸嘉一、2019年7月4日。2025年3月5日閲覧。
- ^ a b c d 「ネパール・ヒマラヤ・トレッキング案内 (改訂第2版) 中村 昌之/内田 良平【著】」紀伊国屋書店。2025年3月5日閲覧。
- ^ 内田良平と閑良屋会「二度と会えない山々の表情に魅せられて 第38回 内田良平と閑良屋会(ヒマラヤカイ)山岳写真展「遥かなる山」」フジフィルムスクエア、2016年10月14日。2025年3月5日閲覧。
- ^ 木戸嘉一「故・内田良平と閑良屋会の最後の写真展。」木戸嘉一、2019年11月28日。2025年3月5日閲覧。
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