典薬寮時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 03:26 UTC 版)
その後正六位下に進んだ経徳は、文久元年暮れ(1862年1月)に和宮親子内親王が徳川家へ降嫁する際の差添医師の一人として抜擢される。また、経徳は若年ながら天脈拝診を許され、慶応2年の暮れ(1867年1月)に孝明天皇が病に倒れた際は、父の経由などとともに痘瘡との診断を下し、数日後の崩御に到るまで日夜天皇の病床に臨んで治療に従事した。慶応3年9月(1867年10月)に和宮付きの女官であった庭田嗣子が発病したときは、経徳はその治療のため再び江戸へ派遣された。
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