六甲山成因論に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 06:50 UTC 版)
「丸山断層」の記事における「六甲山成因論に与えた影響」の解説
この衝上断層の発見は、六甲山成因論に大きな影響を与えた。これまでは六甲山の成り立ちは、地塁説(六甲山地塁説)で説明されてきており定説となっていた。これは、六甲山の高い中央部を除いた南北の両側が、陥没して低くなり、北側に落ちて谷状の凹地になったのが、現在の箕谷から花山、大池、有馬、さらに生瀬、宝塚にいたる低地帯であり、南側に落ちてできたのが現在の神戸の市街地であり、ずり落ちずに残った高地が現在の六甲山であるという考えである。 ところが、丸山衝上断層の発見により、地塁説とは全く逆の、地殻にかかる側方からの圧力により、基盤が上向きに隆起し六甲山を形成したのではという正反対の発想がなされ始めたのだが、これはまさに天動説に対する地動説のように天と地がひっくり返るような発想の逆転であったため、旧説を唱える人たちの感情的反発により、容易には認められなかった。衝上断層の発見後、約20年過ぎて開かれた日本地理学会で行われた野外巡検の際にすら、夜を徹するような議論が巻き起こったと伝えられる。
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