六甲山開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 21:33 UTC 版)
阪急は六甲山の観光開発を目的に、傍系会社として六甲登山架空索道(六甲ロープウェイ)を設立、1931年(昭和6年)9月22日より六甲山増井谷 - 六甲山ホテル前間でロープウェイ(索道)の営業を開始する。 すると阪神も対抗して六甲越有馬鉄道(後の六甲摩耶鉄道)を設立し、1932年(昭和7年)(昭和7年)3月10日に土橋(後の六甲ケーブル下) - 六甲山(後の六甲山上)間へ索道と並行してケーブルカー(鋼索鉄道)を開業させた。 その後、前者が不要不急線として1944年(昭和19年)1月11日に撤去されるまでの間、客寄せで競ったといわれている[誰によって?]。また、六甲山麓や頂上の開発でも競合が見られた。 (六甲山での開発競争は、六甲山#大正から戦前も参照)
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