六代 桂山宗冨【不詳-1660年】とは? わかりやすく解説

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六代 桂山宗冨【不詳-1660年】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 02:00 UTC 版)

志野流」の記事における「六代 桂山宗冨【不詳-1660年】」の解説

6代目宗冨(不詳-1660年)は、宗因次子石見掾宗冨、号を桂山という。万治3年1660年)没。既に宗因によって確立されつつあった香道の家としての世襲制受け継ぐとともに50年余りに亘る宗匠期間を通じて香道諸式をまとめながら、流儀体系化押し進めて行くことになる。寛永10年1633年7月7日仙洞御所に於いて後水尾院催した七夕七種御遊の内、七夕香の会では香元手前)を務めた蜂谷家蔵書『後水尾院七夕七遊七炷香之記』によれば、この日は晴天で、朝卯の下剋(7時)から子の下剋(夜12時過ぎ)に及んで立花・七炷香・和漢連句詩・和歌管弦・碁象戯の七遊催され、この時の組香は、上皇はじめとして公卿法親王から宗冨まで49名の名が記され、巳の半剋(10時過ぎ)に始まり、午の上剋(12時)まで行われたまた、宗冨席主の「宗因追善香の会」には千宗旦列席し上客務めている。

※この「六代 桂山宗冨【不詳-1660年】」の解説は、「志野流」の解説の一部です。
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