六代 桂山宗冨【不詳-1660年】
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6代目宗冨(不詳-1660年)は、宗因次子で石見掾宗冨、号を桂山という。万治3年(1660年)没。既に宗因によって確立されつつあった香道の家としての世襲制を受け継ぐとともに、50年余りに亘る宗匠期間を通じて香道の諸式をまとめながら、流儀の体系化を押し進めて行くことになる。寛永10年(1633年)7月7日仙洞御所に於いて後水尾院の催した七夕七種御遊の内、七夕香の会では香元(手前)を務めた。蜂谷家蔵書『後水尾院七夕七遊七炷香之記』によれば、この日は晴天で、朝卯の下剋(7時)から子の下剋(夜12時過ぎ)に及んで、立花・七炷香・和漢連句・詩・和歌・管弦・碁象戯の七遊が催され、この時の組香は、上皇をはじめとして公卿、法親王から宗冨まで49名の名が記され、巳の半剋(10時過ぎ)に始まり、午の上剋(12時)まで行われた。また、宗冨席主の「宗因追善香の会」には千宗旦が列席し、上客を務めている。
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