六代目:小野守利
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「奥州会津角定一家」の記事における「六代目:小野守利」の解説
1939年7月11日生。菅谷組内川内組の組員として活動したのち、三代目山口組の有力直系組織であった佐々木組に移籍。一和会に参画した佐々木組の解散に伴い弘道会へと移籍した。山口組渡辺五代目の舎弟であった木村茂夫が1992年に病死。これに伴い奥州会津角定一家の跡目を継承し、翌1993年に山口組の直参に昇格。2000年代の後半頃に後藤組の処分問題が発生すると、井奥会会長の井奥文夫(神戸)、三代目大門会会長の奈須幸則(熊本)、二代目一心会会長の川﨑昌彦(大阪)、浅川会会長の浅川桂次(大阪)、太田興業組長の太田守正(大阪)、二代目浅川一家総長の浅川睦男(福岡)とともにこれに連座。除籍処分となり、2008年をもって山口組を追われるに至った。
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