公明新党代表就任
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1994年12月5日、公明党は公明新党(衆議院議員と改選期の参議院議員で構成する政党)と公明(非改選期の参議院議員で構成する政党)に分党し、石田は公明新党代表に就任する。 1994年12月24日、公明新党は新進党結成に参加し、石田は新進党副党首に就任する。 1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙において、選挙地盤を元中日ドラゴンズ投手で野球解説者の三沢淳に譲り、三沢は愛知4区で当選する。自身は東海比例代表として立候補し、再選する(新進党は原則として重複立候補を認めなかった)。 1997年12月、新進党内に党内派閥の公友会が結成され、参加する。その後、新進党は解党した。 1998年2月、新党平和が結成され、新党平和常任顧問に就任する。 1998年11月、衆参統一の公明党再結成により、公明党最高顧問に就任する。
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