免田寄人型荘園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)
国司請負の流れの中で、10世紀後半ごろから国司は田堵(有力農民層)へ官物や雑役などの租税を賦課していった。こうした田堵は国司と一定の契約関係で仕えており、寄人(よりゅうど)とも言われた。租税の対象となる農地は名田という単位に分けられた。 田堵の中には、国司から免判の発行を受け、名田を免田(租税免除の田地)として認めてもらうことで負担軽減をはかる者も出てきた。これらの荘園を免田寄人型荘園という。免田寄人型荘園は、田堵(寄人)ごと、又は名田ごとに認可されたため、領域的な広がりをもたず、比較的小規模に経営された。
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