免状問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 03:10 UTC 版)
「観世元滋#観梅問題」も参照 初世梅若実は明治に入り、弟子に対し独自に能役者としての免状を発行するようになったが、これが観世流の内部で問題視されるようになった。それでも初世梅若実の存命中は観世流側も表だった動きを見せなかったが、初世梅若実が死ぬと観世宗家と梅若一門との間での免状問題が再燃し、1925年(大正14年)に梅若一門(梅若六郎家、梅若吉之丞家、観世鐵之丞家)は観世流から除名されることとなった。
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