兄弟間の確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 06:54 UTC 版)
「ステファン・ウロシュ2世ミルティン」の記事における「兄弟間の確執」の解説
退位した後のステファン・ドラグティンはブラニチェヴォからボスナ川に至る所領を有しており、ベオグラードを拠点としていたが、1299年にビザンツとの和平が成立した後に、ウロシュ2世とドラグティンの間に争いが起きる。兄弟の戦いは散発的な停戦を挟みながら、ドラグティンが没する1314年まで続いた。戦争中、ウロシュ2世はデチャンスキをゼタの統治者に任命し、セルビア王位の後継者をドラグティンの子ステファン・ヴラディスラヴ2世ではなく、デチャンスキとすることを表明した。
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