元丈との拮抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 21:48 UTC 版)
本因坊元丈は知得の1歳年長であり、天明8年(1788年)の知得13歳時の対局から文化12年(1815年)の御城碁まで、約80局という当時としては異例の数の棋譜が残されている(長らく77局とされていたが、その後新譜の発見で84局が知られている)。手合は当初は知得の先だったが、寛政2年(1790年)の十番碁では先相先に進み(知得5勝4敗1ジゴ)、寛政4年(1792年)から互先になり、一旦先相先に戻るがまた互先とし、その後はまったく互角の戦績となっている。七段、八段への昇段も同時であり、生涯のライバル関係にあった。 元丈は厚く打って攻めを得意とするのに対し、知得は堅実でシノギを得意とする碁で、いぶし銀とも呼ばれ、対照的な碁風だった。ヨセの名手としても知られる。本因坊丈和は両者の対戦30番を調べ、著書『収枰精思』で「双方一の不可なる手なく、全く名人の所作というべきもの、17局に及ぶ」と述べた。『坐隠談叢』では「この両人の所作ともに秀絶にして、その十二、三頃より両々相対して、豹虎いずれのまさるかを判ずべからず。世人をもって当代の双璧となす。」と評された。 元丈、知得とも、名人碁所の地位は望まず、名人になることはなかったが、この時代の碁界の発展に大きく貢献した。
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