元の残存勢力と戦うとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 元の残存勢力と戦うの意味・解説 

元の残存勢力と戦う

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:10 UTC 版)

傅友徳」の記事における「元の残存勢力と戦う」の解説

1372年洪武5年1月征西副将軍として馮勝従い3月、5千騎を率いて西涼敵軍破り追撃して永昌至った永昌で元の太尉・朶児只巴を破り、馬、牛、羊を10万余を捕らえた6月、掃山に至り馮勝合流して甘粛攻略し、元の不花を射殺し、元の太尉・鎖納児ら降伏させた。瓜州沙州至り金銀家畜2万を獲って帰還した。このとき、明軍三道分かれて戦ったが、傅友徳全て勝利した。しかし、主将馮勝は賞を与えなかった。 1373年洪武6年6月雁門出て前鋒として、元の平章・鄧孛羅帖木児捕らえた1375年洪武8年2月北平守り移った職務によく精励し配下の者は全て従った7月応天府召還され10月太子講武のために山へ行った。歳禄1千石賜った1376年洪武9年1月湯和藍玉王弼丁玉と共に延安守りについた7月延安伯顔帖木児破り、これを捕らえ敵兵降伏した朱元璋の命で、国境周辺巡行行った城郭、関修繕し、兵を率いて金築普定諸山寨を降した1381年洪武14年1月、元の平章・乃児不花が攻めてきたので、徐達湯和と共にこれを討った4月、征副将軍として徐達従い黄河渡って北方向かい、灰山を襲って、元の平章・孛羅不花らを捕らえ数多く敵兵討って捕らえた

※この「元の残存勢力と戦う」の解説は、「傅友徳」の解説の一部です。
「元の残存勢力と戦う」を含む「傅友徳」の記事については、「傅友徳」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「元の残存勢力と戦う」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元の残存勢力と戦う」の関連用語

1
6% |||||

元の残存勢力と戦うのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元の残存勢力と戦うのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの傅友徳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS