信龍没後の信龍屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 07:00 UTC 版)
信龍の屋敷は、近世の絵図類によれば現在の甲府市北新一丁目に所在し、一条小路と呼ばれる甲府城下の南北基幹街路の一角に位置する。天正10年6月の本能寺の変後に武田遺領をめぐり発生した天正壬午の乱では、甲斐において相模国の北条氏直と徳川家康が対峙し、北杜市須玉町若神子に本陣を置き、北杜市域の城砦群に布陣した北条勢に対し、徳川勢は七里岩南端の韮崎市域に布陣した。家康は現在の甲府市城東一丁目の尊躰寺に本陣を置き、北新一丁目の一条信龍屋敷に移し、さらに8月8日に韮崎市中田町中條の新府城に移転した。
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