尊躰寺とは? わかりやすく解説

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尊躰寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 20:46 UTC 版)

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尊躰寺
所在地 山梨県甲府市城東1-13-17
位置 北緯35度39分35.7秒 東経138度34分47.1秒 / 北緯35.659917度 東経138.579750度 / 35.659917; 138.579750座標: 北緯35度39分35.7秒 東経138度34分47.1秒 / 北緯35.659917度 東経138.579750度 / 35.659917; 138.579750
山号 功徳山
院号 深草院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 大永年間(1521年 - 1528年
開山 印公
開基 武田信虎
文化財 絹本紺地金泥阿弥陀三尊像(甲府市指定文化財)
尊躰寺
尊躰寺 (山梨県)
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尊躰寺(そんたいじ)は、山梨県甲府市にある浄土宗寺院

歴史

大永年間(1521年 - 1528年)、武田信虎の開基である。ある日、信虎は重病に罹ったが、真向三尊阿弥陀如来画像に祈願すると治癒したことから、これを本尊とする寺を創建した[1][2]

武田氏滅亡後に甲斐国を領有した徳川家康は当寺を宿泊所とした。文禄年間(1592年 - 1596年)に現在地に移転した[1][2]

本尊の真向三尊阿弥陀如来画像は、元々宮中にあったが、後に石清水八幡宮経由で信虎の手に渡っている。そういうこともあり、1533年天文2年)に後奈良天皇から「功徳山尊躰寺」の勅額を賜わっている(現在は焼失)[3]

墓地には、金山開発に従事した大久保長安教育者の富田武陵、俳人山口素堂の墓がある[2]

文化財

  • 絹本紺地金泥阿弥陀三尊像(甲府市指定文化財 平成9年11月27日指定)[4]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 尊躰寺浄土宗「新纂浄土宗大辞典」
  2. ^ a b c 尊躰寺浄土宗「浄土宗寺院紹介Navi」
  3. ^ 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、135-136p
  4. ^ 絹本紺地金泥阿弥陀三尊像甲府市

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年



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