作左エ門吉興、吉貞(二代)、別銘重貞
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筑前初代信国吉貞には息子が3人おり、その三男吉助の息子、吉親の父。 初め吉貞といい、後に重貞と改銘。貝原益軒編『筑前国続風土記付録』には、「男子三名(中略)三男吉助、吉貞、今重貞ニ至レリ」とあるが、続編の鷹取周成編『筑前國続風土記付録』に「本編には吉助・吉貞今重貞に至るとあり。家系に吉貞後に重貞と改むと記せり」とある。 生年不明。没年1708年(宝永5年)、法名:心刀破愁信士。
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