佐伯藩領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 23:35 UTC 版)
幕府から公認された佐伯藩の御朱印村でのちに本郡域となる津久見村とのちの南海部郡にまたがる2村であり、この御朱印村を基本単位として、その下に多数の枝郷が所属している。 佐伯藩領3村と枝郷 御朱印村枝郷大坂本村 八戸 津久見村 津久見村組 中田、彦野内、西野内、千怒、奥河内、鬼丸、赤河内、下河内、勇土、願寺 津久見浦組 岩屋、宮本、井無田、日見浦、福良、網代浦 上浦村 鳩浦、落野浦、深浪津浦、久保泊浦、保戸島 枝郷は必要に応じて随時再編されており、その名称・範囲等についても時期によって変動が見られるが、享和3年(1803年)に書かれた「郷村仮名附帳」により、概容を知ることができる。「旧高旧領取調帳」では、こうした枝郷やさらに下位の小字のいくつかを村扱にして村高を割り付けているため、のちの本郡域なる村数が22村と約7倍以上の数になっている。また佐伯藩では、領内の村を農山村である「在方」と漁村である「浦方」に分類し、それぞれの特質に応じた支配形態をとっていた。御朱印村のうち津久見村については在方と浦方が併在しており、それぞれ津久見村組・津久見浦組として別個に管理されていた。 明治11年(1878年)の海部郡分割に際しては、津久見村組・津久見浦組の全域(臼杵藩と相給の鬼丸村を含む)が本郡の管轄となり、上浦村組・大坂本村組はそれぞれ南海部郡・北海部郡に分割された。
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